2018年05月18日
サラリーマンの洗脳
サラリーマンのイメージ
子供のころ、多分テレビの影響かと思うのですが、サラリーマンというのは平凡で甲斐性の無い人のことをいうのだと思い込んでいました。高校生の頃、友人に将来の志望学部を聞かれ、その時は特に考えていなかったので、工学部と答えたところ、すると友人は「サラリーマンになって、どうするの?」と聞きます。彼は優秀で、医学部志望だからか。何となく恥ずかしいような気がして、言葉に詰まってしまったのを覚えています。腹の中は面白くなかった。私は、芸術系に憧れつつも諦めていたのでした。
意気地も無く、現実的選択からか、予定通り土木工学系学科へと進んで、何となく建設コンサルタント会社に入社、土木構造物の設計を生業とするサラリーマンに目出度くもなったのです。その後会社を変えながらも35年近く、この生活は変えませんでした。辛かったが、得るものも多い日々だした。
私は洗脳されている?
昨年の暮れ近く、ついに辞表を提出、私は独立しました。当初は会社設立に関する煩瑣な手続きに追われて、結構忙しかったのですが、一旦落ち着くと、不思議なことに気づきました。
会社員だった頃の起床時間より遅く目覚めたり、家を出る時間が遅くなったりすると、何故か焦る。「しまった遅刻だ」等と一人ごちているのです。年が明けて、インフルエンザにかかり、家で臥せっていると、女房に「今日は有給だ」等と言い、女房を驚かせました。自分で作り、私しかいない会社であり、緊急の仕事も無いのに何故か焦る。楽をしていると自分を責めるのです。昼日中のこんな時間に本屋で何をしているのかなどと落ち着かない。仕事をすれば人の評価を気にして必要以上に頑張ったりする。仕事以外の些末な、例えば税金の支払い手続きなど、自分でしなくてはならないのですが、何故かイライラする。こんな自分を見つけて苦笑する。私は長いサラリーマン生活で、会社が決めた社則に縛られ、このレールに乗ることにより、安心して生活を営めました。その反面、仕事を中心とする生活以外を知ることは僅かでした。そして、こうした生活しか知らなかった。結果的には、これは一種、個人に対する洗脳なのだと思うようになりました。
また、聞く話では、退社後相当の時間が経っているのに、相変わらず会社の総務部長であろうとする人もいるようです。丁寧語を使わないと、すぐに“キレる”。悲しくも真面目な日本人の洗脳状態です。この洗脳から解放されるのは大変です。特に高齢になってからですから。
私は、今、高校時代に思った頃の理想、夢を思っています。内容は大分変質していますが、自分の頭で自由に考え始めています。厳しい自由という状態に成りつつある証拠ではないか。ようやく洗脳が解け始めてきたと苦笑いの日々です。