2018年05月18日

私の妙な満足感

私は学校を卒業して、国内の建設コンサルタントに就職しました。建設コンサルタントといっても、顧客は官庁、役所であり、おおよそは、指示をもらって、その通りに設計計算書、設計図面を作成するというものであり、コンサルティングというスマートなイメージから程遠い業態でした。とにかく、この建設コンサルタントに席を置きつつ四半世紀を過ごしたことになる。

倒産という現実を前に

50歳になった年、私の所属会社は親会社の合理化方針に従って解散するという憂き目に会いました。初めて耳にする倒産という言葉。それはテレビのドラマの世界でしかなかったのですが、現実として突如、眼前に現れたのです。

事実を何とか受け入れてから、手持ちの仕事を何としても早く完成させる必要がありました。倒産の発表があったのが、2月か3月頃だったかと記憶しています。それから、必死に仕事に取組みながら、何とも落ち着かない気持ちから、同僚と連日のように飲みに行き、“くだを巻いていた”ことを思い出します。

何とか私の仕事が完了し数か月が経ってのこと。社員は大方次の行く先へと移っていきました。しかし、私は、立場もあって、しばらく会社に残り残務をこなすことが必要でした。人がいなくなった広い室内に2~3人しかしない。この様子をまだはっきりと覚えています。会社として所有していた荷物で換金できないものは全て処分。今考えても貴重な資料、図書を山積みにして廃棄。そして事務用の机・椅子類も全て廃棄業者にお任せして廃棄。その光景は勿体ないと思うのはもちろん、一種異様な光景でした。貴重で大事と考えていたものが一瞬にしてゴミとなったのでした。

恐れるものがない?

顧客であった役所から電話がなると、数年前の設計に関する問い合わせ、問合せなら、まだ理解できますが、修正の要求だったりしました。社員はむろん退職して不在、会社は廃業した事実を伝えると、何とか当時の担当者に修正をするように指示してくれないか等と頼まれる。呆れるというより唖然としました。中には、残った私に修正を迫ってくる方もおられた。いつもは低調に対応する立場だが、この時は、強く拒否して、正論で言い返す。正直言って、妙な喜びを感じたのを覚えています。

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