2018年05月18日
急激な展開
時には時間を作るということ
長年の建設コンサルタント会社社員という立場に疲れてしまったのかと思います。私が53歳位の頃、30年近く生業とした建設コンサルタントを止めるべく会社を退職しました。何のあてもなく退職したのです。女房は、私の体調の不良を気にして、しばらく、しっかり休んだら等と言ってはくれましたが、休みが5か月近くになると、一転、機嫌が悪くなり始めました。この期間、私は壊れかかった体調を元に戻すべく、午前中は近くの公園で走ったり、体操したりして過ごし、酒は控えめにしていました。女房の目付きの険悪化の反面、体調はかなりのレベルで回復、ようやく就職活動を開始しました。
ちょっと冒険を、という気持ちが大冒険へと
建設コンサルタントという業種にこだわりは無く、むしろ違った世界で冒険をしてみたいと思っていました。しかし、私の年齢を考えると、現実的には極めて難しい。結局、建設コンサルタント会社のホームページを眺めることとなったのですが、それでも変わった感じの会社を探していました。そんな中、あるコンサルタント会社のサイトが目につきました。アフリカのどこかと思いますが、多くの黒人の子供たちが笑って写真に納まっている。何となく、特に考えることなく、応募メールに入社希望の旨を書き込み、送信してしまったのです。確か、応募条件に英語力が問われていましたが、メールには「英語はできませんが、駄目でしょうか?」等と書き込んでいました。2回ほど同じようなメールを送り付けて、しばらく経ちますと、妙なメールが “コンゴ”という国から届いている。中を見れば、日本語で、「覚えているか」とあります。その会社の副社長からのメールだったのですが、その副社長というのが、なんと私の高校時代の同級生だったのです。その後、とんとん拍子に話は進み、その会社に入社することになりました。しかし、その会社(コンサルタント)は海外業務が専門の会社でした。その事実を明確に理解したのは入社した後でした。他の知人は、皆驚き、中には、やめておけという人もいました。しかし、私はこの会社に入社したいと思ったのです。従前、考えてもみなかった紛争終了後、間もないアフリカの国々を飛び回る生活が劇的に始まりまったのです。50歳をちょっと超えた時代から、英語と縁が切れない生活が急に始まったのでした。結局のところ、何かが私を呼んだのだと思うのです。